既存ビジネスを『ノマド化』する(その3)

海外ノマド倶楽部、代表の平城です。

前回は、私が週の半分をノマド化できたことをお話させて頂きました。

今回は、そこから更に次のステップへと進んだエピソードを、
お話したいと思います。

週に3回、1回あたり4時間の常駐契約を結んだ私は、
実はもう1社から、同じようなオファーを受けていました。

もう1社の場合は、必ず居なければいけないというわけでもなく、
あくまでも、『目安』でした。

こちらとも、週に3回程度、
1回あたり4時間という形で契約をしました。

この時点で、この2社との契約だけで、
サラリーマン時代の収入の2倍ぐらいにはなっていました。

それ以外にも、自社サイトの運営からの収入、
そして『受託開発』からの収入がありましたので、
トータルでは5〜6倍ぐらいになっていたでしょうか。

このような生活が1年ほど続きました。

私はとにかく必死で、目の前の仕事に没頭し続けました。
この時は、毎日深夜の3時頃まで仕事をしていたでしょうか。

とにかく、無心で働きまくりました。

そして1年ぐらいが過ぎた後、
この常駐先の会社(A社)の経営が傾きはじめました。

あるとき、A社の担当者が私にこう言いました。

担当者:
『契約は今月までにして、
 来月からは案件ベースでの取引でお願いします』

私は、これを聞いて頭の中に不安がよぎりました。
それまで安定的に発生していた売上が減少するかもしれない、
と思ったからです。

ところが、この出来事をきっかけに、
さらに私の人生が好転し始めるのです。

A社は、経営的には壊滅状態で、社員も多数が辞めてしまい、
業務的に全く回っていない状況でした。

この状況をこの会社のクライアント達も把握していました。

ある日、A社は別の会社に買収・統合されてしまいました。

すると、何社かのクライアントから、
私に直接連絡が来たのです。

クライアント:
『平城さんと直接取引がしたい。
 うちの面倒を見てもらえないだろうか。』

私は、最初少し戸惑いました。

A社と担当者には恩義を感じている。

私がクライアントと直接取引をしてしまえば、
私がクライアントを取ったことになる。

でも、このクライアントも助けてあげたい。

数日悩んだあげく、
結果的に私は引き受けることにしました。

理由は、この取引先にはもはやクライアントを支えていく体制が無く、
一番大元のクライアントにとってそれが最良であると判断したからです。

実際に、A社が健在だった時にも、
途中からクライアントとのやりとりは、
A社の社員ではなく、私がA社の名刺を持って対応にあたっていました。

つまりクライアントにとって、
A社の存在意義は全く無かったのです。

クライアントからしてみれば、
それは単なる『ピンハネ』に過ぎなかったのです。

私は、自分の名前を伏せ、
極秘裏にこの仕事を請けることにしました。

クライアントとやりとりするためのメールのドメインも別途取り、
このクライアント用のビジネスネームを作りました。

何故かというと、
万が一クライアントが誤ってメールをA社に送ってしまった場合、
この取引関係がわかってしまうからです。

このような経緯から、
私は一気に数社と直接取引の関係を築くことになりました。

また、結局A社は、買収・統合された後、
システム開発業務を辞めてしまい、
当時の担当者も、別の会社に散り散りになってしまいましたので、
結果的に私はOKしておいて良かったと思いました。

私がOKしていなければ、
クライアント達は路頭に迷っていたことでしょう。

この時に常駐生活から解放され、
私は本当の意味で独立ができた気がしました。

こうして少しずつ、
私は自分の理想とする形を手に入れていきました。

しかし今思えばこの当時もまだ、
東京に事務所を構え、電話番号も持ち、
ある意味『旧態依然とした』経営スタイルを取っていました。

次回は、『完全ノマド化』に至った経緯についてお話してみたいと思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

平城 寿

1976年宮崎県生まれ。2004年に@SOHO(http://www.atsoho.com)を立ち上げ、4年で国内No.1の会員数まで育てる。2010年に海外での不動産投資をスタートしたことをきっかけに、3年かけて自らのビジネスを再構築して海外ノマド生活を実現。現在は海外ノマドの魅力を伝える活動を行っている。